ところが、もともと日本の天台では、大日経を主とする「遮那業」(密教)に対して、法華経に立脚した実践的教えである『摩訶止観』の修学を「止観業」と呼んできましたので、ここでは法華経の教理を会得し、その実践法門を修行する「止観業」のことを伝統的な了解のもとに顕教としておきます。
第1 :序品(じょほん)
法華経弘めし始めには 無数の衆生その中に
本瑞空に雲晴れて 曼荼羅曼殊の華ぞ降る
第2 :方便品(ほうべんぼん)
法華はいづれも尊きに この品聞くこそあはれなれ 尊けれ
童子の戯れ遊びまで 仏に成るとぞ説いたまふ
第3 :譬喩品(ひゆほん)
長者の門なる三つ車 羊鹿のは目も立たず
牛の車に心かけ 三界火宅を疾く出でむ
第4 :信解品(しんげほん)
長者はわが子の愛しさに 瓔珞衣を脱ぎ捨てて
異しき姿になりてこそ やうやく近づきたまひしか
第5 :薬草喩品(やくそうゆほん)
釈迦の御法はただ一つ 一味の雨にぞ似たりける
三草二木はしなじなに 花咲き実熟るぞあはれなる
第6 :授記品(じゅきほん)
四大声聞いかばかり 喜び身よりも余るらむ
われらは後世の仏ぞと 確かに聞きつる今日なれば
第7 :化城喩品(けじょうゆほん)
一乗妙法説く聞けば 五濁われらも捨てずして
結縁久しく説き述べて 仏の道にぞ入れたまふ
第8 :五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
一乗実相珠清し 衣の裏にぞ?けてける
酔ひの後にぞ悟りぬる 昔の親のうれしさに
第9 :授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
二千声聞の 仏を讚むる譬ひには
昼は甘露の注くを見 夜は燈火照るが如
第10:法師品(ほっしほん)
法華経八巻は一部なり 二十八品いづれをも
須臾の間も聞く人の 仏に成らぬはなかりけり
第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
法華経しばしも持つ人 十方諸仏喜びて
持戒頭陀に異ならず 仏に成ること疾しとかや
第12:提婆達多品(だいばだったほん)
達多は仏の敵なれど 仏はそれをも知らずして
慈悲の眼を開きつつ 法の道にぞ入れたまふ
第13:勧持品(かんじほん)
法華を行ふ人はみな 忍辱鎧を身に着つつ
露の命を愛せずて 蓮の上に上るべし
第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)
法華経読誦する人は 天諸童子具足せり
遊び歩くに畏れなし 獅子や王の如くなり
第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
釈迦の御法のそのかみは さまざま見知らぬ人ぞある
地より涌きつる菩薩たち みなこれ金の色なりき
第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
娑羅林に立つ煙 上ると見しは虚目なり
釈迦は常にましまして 霊鷲山にて法ぞ説く
第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
法華経持たん人はみな 起きても臥してもこの品を
常に説き読み怠らで 塔を建てつつ拝むべし
第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
須臾の間も聞く人は 陀羅尼菩薩を友として
一つ蓮に入りてこそ 衆生教化弘むなれ
第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
釈迦の御法を聞きしより 身は澄み清き鏡にて
心覚り知ることは 昔の仏に異ならず
第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
仏性真如は月清し 煩悩雲とぞ隔てたる
仏性遥かにただ見てぞ 礼拝久しく行ひし
第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
釈迦の誓ひぞ頼もしき われらが滅後に法華経を
常に持たむ人はみな 仏に成ること難からず
第22:嘱累品(ぞくるいほん)
一乗付嘱の儀式こそ あはれに尊きものはあれ
釈迦牟尼仏は座より下り 菩薩の頂撫でたまふ
第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
身を変へ再び生まれ来て 仏の滅期に参り会ひ
二つの臂を燃してぞ 多くの国をば照らしてし
第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
妙音菩薩の誓ひこそ かへすがへすもあはれなれ
娑婆界の衆生故 三十四までに身を分けつ
第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経)
観音深く頼むべし 弘誓の海に船浮かべ
沈める衆生引き乗せて 菩提の岸まで漕ぎ渡る
第26:陀羅尼品(だらにほん)
ゆめゆめいかにも毀るなよ 一乗法華の授持者をば
薬王勇施多聞持国十羅刹の 陀羅尼を説いてぞ護るなる
第27:妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)
戯れ遊びの中にしも さきらに学びん人をして
未来の罪を尽くすまで 法華に縁をば結ばせん
第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)
法華経娑婆に弘むるは 普賢薩?の力なり
読む人その文忘るれば ともに誦して覚るらん