中国の天台大師智��は「五時八教」の教相判釈をのべて『妙法蓮華経』をもって久遠の本仏の本懐を明らかにする最終最勝の仏典であると教えた。この天台宗が伝教大師によって日本に本格的に伝来されるが、大師は日本天台宗を開くに当り、円密禅戒四宗兼学、円密一致などをこの宗の特徴とした。つまり、日本の天台宗は中国天台宗のように『法華経』一辺倒の宗派ではなく、四宗兼学とくに円教（法華経）と密教（大日経）の一致を説く新種の天台宗として開かれたのである。伝教大師の四宗兼学の精神は、後世、日本天台宗にさまざまな仏教思想や儀礼を取りこむことになり、多くの信仰上あるいは教学上の問題を抱えることになる。浄土宗や禅宗など多くの宗派がここから生まれていったのは、こうした状況の一つの現象であった。

初期の日本天台宗で教学上深刻な問題であったのは円（顕）密の一致をどうするかということであった。伝教大師は「学生式」を制定して後継の僧侶に十二年間籠山して止観業か遮那業のどちらかを専攻するようにしたが、前者は円（顕）教、後者は真言密教の行であった。しかし、当時、日本天台宗の密教は弘法大師の真言密教とは比べものにならないほど未熟で伝法も充分でなかった。日本天台宗のこうした焦りを解決すべく、中国への求法の旅を試みた人びとがいた。そのなかで、今日もその名を残しているのは慈覚大師と智證大師である。

両大師の入唐求法の課題は日本天台宗のなかに真言密教を本格的に融合することであった。そのため、密教の理論的な研究と実践的受法とを密教の中心地長安において体得することであった。本宗の御開祖、智證大師円珍大和尚は長安青龍寺において法全阿闍梨から胎藏界、金剛界、蘇悉地の三部の大法を受注することができた。そのとき法全阿闍梨は、「なんじ、大毘盧遮那般若母の加持を蒙り、阿字法性の大空に遊歩し、一切如来最上乗教を受け畢んぬ。金剛は智慧なり。」と言われた。智證大師を智慧金剛と称するのはここに由来する。

さて、円教と密教との一致は智證大師の教学によって完成するわけであるが、ここで大きな疑問が出てくる。つまり円教の主経典としての『法華経』は最終最勝の経典であるのに、これと密教の主経典『大日経』とが一致するというのは、どうしてか。そのことは、天台大師も誰も言っていない、この問題をどう解決するか。伝教大師以来のこの疑問にたいして、明確に答えたのは智證大師であった。

天台宗の五時八教、とくに五時のなかの何時に『大日経』を入れるべきか。智證大師は日本天台宗が直面した、この疑問にたいして『大日経指帰』を書いて決択した。本書は大師三十八歳の入唐直前に選述したもので、そのなかで唐の維○や広修などが真言密教を第三方等時に入れて解釈したのに反対し、これを論破して『大日経』は一大円教であるとした。加えて『法華経』に執われて真言を抑えてはならないとして、次のように主張した。

「この三摩地門はただこの密教にのみあり。自余の一切の修多羅のなかには欠けて書さず書さず。故に大乗中の王、秘中の最秘なり。法華なお及ばず矧んや自余の経をや。これを第三時に置くは、譬へば目を指して蛍となし、海を以って蹄と作すがごとし。」

こうして、第五の法華、涅槃の時を、さらに初中後に分ちて、初善は法華、中善は涅槃、後善は大日とした。『法華経』も『大日経』も第五時の最勝の教えであると決判したわけである。慈覚大師は『大日経』を化法四教のなかの円教とし、智證大師は第五時に入れた。この決判は未曾有のことであり、ようやく天台の五時八教の体系の中に真言密教『大日経』が包摂されることができた。ここから、後世天台密教は智證大師によって完成されたと賞讃されるのである。

こうして、日本天台宗の円密一致は完成するのであるが、これによって日本天台宗の主所依の経典は『法華経』とともに『大日経』も車の両輪のごとく重視されなければならないことは明白である。

しかし、『大日経』は秘密経典であって、顕教の『法華経』のごとく誰にでも準備もなく読誦できるものではない。相応の三密の修業を経なければならない。