『法華経』のはなし(一)
『法華経』のはなし(一)
一 本宗では、いわゆる『法華経』をもっとも大切な所依の経典としている。『法華経』はもともとインド古代語のサンスクリット語によって書かれており、その題名も「白蓮のごとき正しいおしえ」とか「正しい教えの白蓮」などと和訳されている。これの漢訳本は、全訳あるいは部分訳など合わせると十六篇ほど存在するといわれているが、現存する全訳はつぎの三種である。
『正法華経』
十巻笠法護訳(西暦二八六年)
『妙法蓮華経』
七巻鳩摩羅什訳(四〇六)
『添品妙法蓮華経』
七巻闍那崛多等訳(六〇一)
このうち、中国・日本の天台宗で主所依としているのは、鳩摩羅什の漢訳である。羅什はインド人の父とクチャ王の王女の母から生まれ、クチャ地方に伝えられていた『法華経』を原典として漢訳したものと考えられる。その時、二千人がその翻訳事業に参加したと伝えられる。般若・維摩・弥陀などの経典、『中論』『大智度論』『十住毘婆沙論』『成実論』などの諸論書も漢訳している。羅什訳の『妙法蓮華経』が出ると、中国では法華経信仰が飛躍的に盛んになった。天台宗の出現も、その根本には羅什の翻訳に由来するといえよう。 『妙法蓮華経』の内容は二つに分けられる。その前半では二乗として貶められる小乗仏教を機根未熟の者のために説かれた方便と見て小乗の人びとにも成仏を予約するとともに、後半では在家教団の大乗の人びとにたいして永遠普遍の久遠本仏の救済活動を説き、さらに法華経授持の功徳を強調して法華経の弘宣につとめている。 法華経の思想の中心は会三帰一すなわち開会の論理で、法華経前半の迹門に説かれている方便即真実の考えである。これは、万人成仏が久遠本仏によって保証されることを説く経の後半の本門に展開される絶対平等の実践に裏づけられて成立する。経中に「本迹殊りと雖も不思議一なり」と称せられるのは、この意味である。 対立する思想をより高い立場から統合し、方便即真実と開顕する。万人平等の成仏を保証し、縁起中道を説く。この経典はみずから「最第一」なりと宣言し、また後世も絶対平等の救済を教える「経の王」と言って称讃している。
二 羅什の名訳『妙法蓮華経』が完成すると、その研究や講説する者も増え、注釈書も数百数十家の多数にのぼった。当然、その信仰者は飛躍的に増加した。普門品に説かれる観音信仰がとりわけ民衆の間に爆発的に広がり、中国社会に深く根をおろした。薬王品による捨身供養者が続出して社会問題となることもあった。 『妙法蓮華経』の現存する注釈書のうち代表的なものをつぎに挙げよう。
笠道生(五世紀初)法華経疏
梁法雲(六世紀初)法華義紀
隋智(六世紀末)法華玄義
法華文句隋古蔵(七世紀初)法華玄論
法華義疏唐窺基(七世紀中)法華玄賛
このうち、隋代の智は法華経研究によって天台宗を創建した。その数字は精緻で、後世の法華経講説者は多く天台を指南とあおいでいるといっても過言ではない。日本における最初の法華経研究者は聖徳太子である。太子は成実学者の梁法雲の『法華経義記』をつくった。ついで、聖武天皇は、国分寺制度を実施して、全国の国分寺で法華経を講読させた。 平安初頭、伝教大師最澄は入唐求法して叡山に天台法華宗を開き鎮護国家を祈り、さらに太子の精神を受けついで真俗一体の法華経の妙理を説いた。弘法大師空海もまた真言宗の立場から『法華経問題』を著わしたのである。慈覚大師、智証大師はともに密教を大いに取り入れて法華経と大日経とを総合した天台密教を大成した。 三 わが宗祖智証大師には『法華論記』という著述がある。これはその在唐中に、世親菩薩の『妙法蓮華経憂波提舎(法華論)』に注釈を加えた著作であるが、ここで大師は、「妙法蓮華」についての『法華論』の出水と華開の出水と華開の二義にふれて興味ある自説を展開している。 『法華論』で出水の義というのは、究尽すべからざる実相、仏乗は小乗の汚濁から出離しているという意味で、あるいは蓮華が泥水から出づるがごとく諸の声聞は如来の大衆のなかに入って菩薩と同じく法華経を聞いて仏と作ることができるという意味である。つまり前者は法について釈し、後者は二乗の人が回心して大乗に向かうことについて説いたのである。つぎの華開とは心が怯弱で大乗を信ずることのできない者に、如来の浄妙の法身を開示して信心を生ぜしめることで、それは華が開いて実が顕われることを詮したものである。こうした解釈を受けて、智証大師は、出水の義を迹門に、華開の義を本門に配釈したのである。 本宗では、朝夕の勤行においてつねに法華経を読誦している。『方便品』の要文としての「十如是」の句、『寿量品』の偈文「自我偈」、『普門品』の偈文「世尊偈」、法華懺法の中の『安楽行品』、それに普山の祈等に読誦する『神力品』などは、とくに親しいものである。本宗教徒はさらに積極的に『妙法蓮華経』に親しみ、生活の規範としたいものである。
『法華経』のはなし(二)
同じ天台宗でもその信仰の依りどころとする経典は中国と日本、朝鮮とそれぞれ違っている。中国天台宗では、法華三部経(無量寿経・法華経・観普賢経)を根本経典とし、それに「大智度論」「法華論」「中論」を所依の論蔵としているが、日本天台宗は円密禅戒の四宗兼学を建前として、円教では法華三大部、密教では真言三部経(大毘盧遮那成仏神変加持経・金剛頂経・蘇悉地羯羅経)、円戒においては「法華経」「梵網経」「本業瓔珞経」が主な所依経典とされている。こうして、日中の天台宗の共通点は、「法華経」が中心的経典となっているところにみられる。 天台宗において所依経典としているのは鳩摩羅什が漢訳した「妙法蓮華経」であるが、初め羅什が漢訳したときは七巻二十七品しかなかった。後に、南北朝の斉の時代に達磨提と法献とが協力して「妙法蓮華経提婆達多品第十二」の一巻を別訳したので、陳の時代に活躍した南岳慧思がこれを羅什訳に付加して現在の二十八品にしたと伝えられている。天台大師智は、師僧にあたる慧思の考えを受け継いで、現在の二十八品の「法華経」を依用したのである。以後、この八巻二十八品の「妙法蓮華経」がもっともよく普及することになった。 「法華経」は、釈尊滅後数百年の時代を経た後に編集されたものであるが、それが何時であったかはいまだに特定することはできないでいる。ただ紀元二、三世紀頃の出世と推測される龍樹菩薩の著書『大智度論』には法華経の文言がしばしば引用されているところから、遅くとも仏滅七百年頃にはすでに編集されていたのではないかと考えられている。それでは、天台宗の主所依の経典『法華経』とはどんな経典であろう。それは、仏陀釈尊の教えの本意、根本的精神を開顕したもので、いわゆる「仏出世の一大事因縁」「仏出世の本懐」を明らかにした経典である八万四千もあるといわれる仏教経典のなかで、もっとも正しく仏出世の本懐が述べられているのが『法華経』であるとされる。 この経典以外の多くの経典は、修行の方法を説くことに重点を置いているが、この経典は修行の方法は説かず、直ちに仏陀の説法の結論、すなわち根本精神を説き明かした。しかもすぐれた文学的表現を用いて、本懐を開顕したのである。 前号でも説明したように『法華経』が漢訳されて以来、多数の注釈家や研究者、信仰者が輩出した。そのなかで一等地に抜きんでていたのが、天台宗の大成者天台大師智禅師であった。大師は法華経によって大悟し、これを体読し礼讃することによって、大乗仏教の精神を体現したのである。この法華経の行者としての精神は、その著書「法華三大部」及び「五小部」に明らかにされている。それは法華経について前代未聞、自解仏教の妙薬をなしたものとして、大乗仏教の究極の華と讃えられている。 法華三大部とは、まず『法華玄義』十巻で、法華経を中心に一大仏教を再構築し、法華経の思想によって仏教を考え直したものである。とくに独特の「五重玄義」の方法によって法華経を解釈しているが、それは自解仏乗であるといわれる。『法華文句』十巻は、法華経の文々句々を注釈したもので、法華経は釈尊の根本精神であり、仏説法の結論を説いた所以を説明した。第三の『摩訶止観』は、法華経による禅止観の実践方法を説いている。 「五小部」とは、『観音玄義』一巻、『観音義疏』一巻、『金光明経玄義』二巻、『金光明経文句』六巻、『観無量寿経疏』二巻のことで短編の著書である。天台大師の弟子、章安潅頂が大師の口説を筆録したものである。ここでの天台大師の解釈法は「四釈」といわれる方法である。法華経の天台独自の解釈方法としての「五重玄義」と「四釈」については、後に説明するが、これら法華三大五小部は天台の法華経解釈がもっともよく発揮されているものであり、したがって天台教学の最重要宝典ということができるのである。
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