天台密教三部秘経の教主『蘇悉地羯羅経』
天台密教三部秘経の教主『蘇悉地羯羅経』
『蘇悉地羯羅経』は『大日経』『金剛頂経』とともに台密の三部秘経として尊ばれている。この経は、金剛薩が大日如来の教えを奉じて、須彌山頂の普賢堂において忿怒軍茶利の請問に答えて説示されたものである。これが三部の中の教主といわれている理由は、金剛界・胎藏界の両部の大教においては「自心是仏」という真理を説いているが、実はこの経典に説示してある真言法則によらなければ、どんな三密の妙法も無駄になるからである。 蘇悉地というのは梵語(サンスクリット)で訳せば、「妙成就」という意である。羯羅というのは、訳せば作とか作法という意で、『蘇悉地羯羅経』というのは「妙成就の作法を教える真理の本」という意味になる。 密教の修法には、息災・増益・降伏の三種の別があるが、これらの修法はただ手に印を結び、口に真言を唱えるだけで目的を果たすことができない。次第を厳守して観行を正しく修することによって初めてその成果を出すことができるのであるが、その次第法則や諸曼荼羅ならびに種々の成就法は、本経において明細に説かれている。修法に息災・増益・降伏の三種があり、修法の尊主とする本尊に仏部・蓮華部・金剛部の三部があり、修法成就の相に上中下の三次第があってこれを三品の悉地と称するが、この三者の関係を正しく理解し熟知しなければ真実の合法的な修法を行ずることは不可能である。本経では、これら修法を本尊と悉地との関係がもっとも理論的組織的に説明されている。 真言の妙行は一指の屈曲微動によって天地を動かし得ると信じられているが、それは合法的かつ正しい相承の所作によってその神通力が現れるのである。天地を動転されることができるのは如来の神通力による。如来の神通力を動かすことができるのは合法な行事法則による妙行である。そして、この合法的行事法則がもっとも完全に説示されているのは、本経だけである。他の経典においては詳細の説明はあっても完全な説示がなされていないとされる。本経の説示にしたがって真言妙法を修するときは必ず初期の祈願を実現できる。こうして、本経は三部秘経のなかの教王と称されるのである。 『蘇悉地(羯羅)経』は、金胎両部の妙成のための就作法経であるが、この部は胎藏界に属し、相承も同じである。『大日経』と同じく唐の開元年間に中インド出身の僧、善無畏によって漢訳された。これに三種の別訳が存在する。一は和本(伝教大師請来)、三巻三四品。二は高句麗蔵本、三巻三七品。三は宋元二本、三巻三八品で、三本とも内容に大差はない。日本天台宗では、和本を原典にして慈覚大師が『蘇悉地羯羅経略疏』七巻を書いて以来、これを尊重する。 ところで、天台と真言とではこの経典の取り扱い方がまったく違っている。真言では両部(金剛頂経と大日経)の外に不二を立てることはない。したがって両部の潅頂のほかに蘇悉地潅頂を行なうことはない。一方、天台密教では、両部の大経は而二の説明を述べたものとしている。そして両部大経にたいしてさらに深秘の説としている。潅頂に於いても、両部にくわえて蘇悉地潅頂を行い、三部大法の潅頂としている。 こうした考えを初めて確立したのは慈覚大師であるが、これをさらに発展させたのが、智証大師である。 終わりに、慈覚大師の疏の冒頭の一文を引いて『蘇悉地経』の経意をまとめておく。
言ふ所の蘇悉地羯羅経とは、是れ三部の経王、諸尊の肝心、真言の秘旨を緒惣し、大教の要妙を該貫す。是れを以て精進忿怒、衆機を撃ちて数十の疑問を発し、時明大仙、未来を悲しみて真言法則を開く。羯羅五荘厳、遍く神明に渉りて経緯となし。悉地九成就、且らく諸部に通じて階位を成ぜしむるを致す。修行の輩、必ず三際の利を攀じ信修の類、寔とに世出世の験を獲。諸部の大教、此の経王に非ずんば支分備はらず。衆尊秘法、是の神典にあらずんば未だ妙術あらず。太虚を凌ぐの霊翅、地蔵を開くの神術、唯だ是れ此の真典なり。
なお、『蘇悉地羯羅経』の日本語訳は「国訳一切経」の密教部五に納められているので、一読をお勧めします。
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