大峰奥駈入峰修行に参加して 愛知県第二宗務支所 中村 駿佑
初の大峰奥駈修行へ参加し、右も左も分からない私を支えてくれたものが二つあります。一つは木の根、そしてもう一つは人の根です。
吹越の宮から五大尊岳にかけての山頂縦走に入り、左右は深い崖、手摺などあるはずも無い岩場を登る際、唯一の支えになったのは岩から張り出した細い木の根でした。
一見頼りなく見えるそれは、掴んでみるとしっかり岩に食い込んでおり、そこに手を掛け足を掛けて岩の上へ這い上がることが出来ました。
根にとってはいい迷惑であったかと思いますが、普段気に止めることも少ない根という物の大きさ、大切さを改めて認識しました。
二つ目について、日頃運動と言えば腕立て腹筋と自転車ぐらいであったため、慣れない山道での上り下りの連続に、このまま最後まで行けるのかと不安になることがありました。
特に尾根の縦走時には、登りの連続という状況に加え、先が分からない事も相まって足取りが重くなり非常につらく、頭に浮かぶのは、何でこんなところを通らなくてはいけないのか、という愚痴めいた事ばかりでした。
そのような時、顔を上げると見えたのは前を行く先達の方々、そしてそれに続く参加者の姿でした。
黙々と登っていくその姿を見ると不思議と雑念が消え、その後に続かなければという気持ちと足を踏み出す力が沸いてきました。
それは一種の義務感であったとも言えますが、私はそこに、人の根の存在を感じました。前を行く方から根が伸びており、それを掴むことで前へ進めたのだと。
今回の大峰奥駈入峰修行を無事終えることが出来たのは、自分一人だけの体力や気力ではなく、山頂の木の根は神仏のご加護であり、それに加えて参加した方々が目には見えない根を張り、それを互いに掴み合いながら歩いた結果だと思っています。
今回は根に掴まってばかりでしたので、今後は周りに根を張るようにしていきたいと思います。
最後になりましたが、私に根を伸ばして頂きました皆様に厚く御礼申し上げます。有難う御座いました。
合掌
大峰奥駆入峰修行を終えて 愛知県第二宗務支所 秋田 尚紀
このたび私は大峰奥駆入峰修行において三年間を通して参加させていただき、今回の第一行程において、無事満行させていただきました。
二年前の初参加であった第二行程では山に入るということ自体が初めてのことで漫然と参加してしまい、他の参加者の皆さまに迷惑をかけてしまい、二度目の参加である第三行程では私の準備不足により再び迷惑をかけてしまい、三度目の今回こそは何事もないよう事前の準備を怠らなかったこともあり、支障なく終えることができました。
第一行程である今回のコースですが、二日間実施され、一日目は熊野三山である速玉大社、那智大社、熊野本宮大社を参拝後、和歌山県世界遺産センターを見学し、クアハウス熊野本宮に宿泊し、二日目に入山し玉置山まで歩く、という日程でした。
一日目、入峰祈願を終えて速玉大社へ。
以前訪れたことのある熊野三山ですが、行の一環として行くのは初めてだったので新鮮であり、これから始まるんだと気の引き締まる思いでした。
またお祓いを受けることも初めてだったので、さらに、熊野三山のお祓いを体験でき、とても貴重な経験になりました。
那智の滝も間近で見ることができ、身が清められました。その後熊野本宮を参拝し、世界遺産センターへ。
様々な貴重な資料を見たあと、宿泊施設へ。
例年の奥駆修行の時より日差しが強く、暑かったこともあり、次の日へ向けて気を引き締めつつ、就寝。
二日目、一時起床ののち手早く出発準備。
起きた時点で肌寒くなかったので水分補給には気を付けようと思い出発。
日の昇ないうちは比較的平坦で歩きやすい道が多くゆとりをもって歩くことができ、順調に進んでいきました。
周りが明るくなってくるころに山在峠、大黒天岳と上りがきついところにさしかかり、同時に気温が上がっていき、らしくなってきたというところで朝食。
日の昇らないうちは先頭集団で歩いていたところを日が昇るころに中盤に移りました。
先頭よりペースを乱されがちなので、難しいなと感じていました。
五大尊岳に続く道であるため、気合を入れなおし出発。
時折木々の間から熊野の山々を拝み、また熊野川を拝みながらも着々と歩みを進めました。
上りがきつく、無心になって歩みを進めていくうちに次第に体も慣れ、程よい疲労感を感じつつ、余裕ができてきたころに裏行場である水金剛へ向かう場所に着きました。
今までの比較的通りやすい道から一転、柔らかい足場で崩れそうになりながらもなんとか到着。
かすかに小川のような形跡があるものの水の気配は全くない水呑金剛でお勤めを果たし帰路へ。
苦手とする足場で、私の中では一番の難所であると感じました。
その後は玉置山まで順調に進み、初めて何の支障もなく目的地まで歩きとおすことができました。
余裕をもって歩くことができたため今までの奥駆修行と比べて、より一層集中し行を果たすことができました。
私はこれまでの大峰奥駆修行を通して心身を鍛えることができ、特にやり通すための忍耐力を培うことができました。
また弱かった自分が奥駆修行をやり通すことができたという自信も手に入れることができました。
普段の生活とは違い、山の中という厳しい環境の中に身を置くことで普段の自分を振り返ることもできました。
これを機に日々の暮らしを見直し、精進していき、これからも参加できるよう心身共に鍛えていきたいと思います。
大峰奥駈修行に参加して 香川県宗務支所 三原 大悟
修験の代表的な修行で有名な大峰奥駈修行に初めて参加させていただきました。修験の修行は大自然と真っ向から向き合う山岳信仰ゆえに起伏の激しい山道を歩くことはある程度覚悟して修行に臨みましたが終わってみるとしんどかったというよりも、神仏はもとより行を応援してくれる方々、先達さんをはじめ諸先輩方、仲間、そして家族といったいろいろな「力」に支えられて無事に行が終えられたとつくづく感じました。
一年前に金倉寺さんにご縁をいただき、今回の奥駈修行の参加を許して頂きました。
一年前の私は、奥駈修行に参加するということなど想像もしたことがありませんでした。
家族に奥駈修行に参加することを伝えたところ、第一声は「何それ」でした。
お山を歩かせてもらうんだよと言うと、登山にでも行くのだろうと思ったらしく「頑張って行っておいで」と言ってもらえたまではよかったのですが、その後、インターネットで大峰奥駈修行を調べたらしく、猛反対を受けました。
「何でそんな危険なことをするのか」「もしものことがあったら、家族のことは考えているのか」「そんな厳しい修行はプロの山伏に任せておけばいい、あなたがすることはない」といったことでした。
今回の行程はそんなに危険な個所は無いから大丈夫という説明を何度も重ねてやっと家族の方でも許可が下りました。
初日、初めて身に着ける鈴懸や梵天袈裟、朝六時より諸堂を巡拝しながら、今から始まる修行に楽しみと不安が同居しながらのスタートだった。
諸堂巡拝が終わるとバスに乗り込み熊野速玉大社に向け出発した。
途中安濃ASでトイレ休憩をした折、修験装束でバスから行者たちが下りていく様は日常から乖離した、まさしく行の始まりを自覚するに十分な光景に思えて何とも言えず感じるものがあった。
三井寺を出発して四時間半、熊野速玉大社に到着し、熊野那智大社、青岸渡寺と巡拝してまわった。
目にまぶしく映る赤い柱が印象的で、どの神社でも手厚い御接待を受けた。先達さんが神職の方から玉串を受け取って神前にささげ、一同、柏手を打って礼拝し、そののちに錫杖のリズムに合わせて般若心経をお勤めし、最後は本覚讃を法螺貝の響きで読み終える。
今まで本やテレビでしか触れたことがなかった熊野詣の文化の中に自分が身を置いていることが何とも感慨深いものであった。
廃仏毀釈の法難を乗り越えて現代に残る神仏習合の姿を今、ここで体験し祈りをささげている自分がある。
そのことが本当にうれしくて感謝の気持ちでいっぱいになった。
二日目、午前一時起床、十五分で準備を済ませ出発。
真っ暗な山道をヘッドライトの明かりを頼りに歩く。
朝霧のせいかメガネがくもって非常に歩きにくい。
しかし大勢で歩いているためか怖いという感情はなく、みんな無言で黙々と歩いて行く後姿に遅れないようについて行いた。
三時五分、本日最初の靡「十二所権現」に到着、赤い鳥居が迎えてくれた。
よく見ると西行法師の歌碑があった。
『たちのぼる月のあかりに雲きえて光かさぬる七越のみね』碑伝と呼ばれる木札を奉納して勤行、神前で般若心経を唱えることにも違和感がなくなり、気が付けば自然と錫杖を片手にお勤めをしていた。
ここからは、あまり感慨に浸る時間もなく、お勤めが終わればすぐに次の靡を目指して歩きだすといった具合に進んだ。
四時十三分、次の靡「吹越」この辺りは上り道が少しきつく感じるようで息の上がっている人もふえてきた。
下りになると少し楽で、その間に息を整えるように努めた。
日の出も近いようで空がやや白んできた。
四時四十三分、「山在峠」山から山へ峰を渡って進む途中、木々の隙間から時折見える雲海、眼下には谷間を巡って流れる川が見える。
結構高くまで登ってきたんだということに初めて気づく。ヘッドライトを外し、頭襟を着ける。
薄暗いが夜中から歩き続けているせいか目が慣れているためさほど不便は感じなかった。
六時六分大黒天岳(五七三、六メートル)そして六時二十五分金剛多和、ここで朝食を食べる。
役行者の石仏があり、その前で昨晩リュックに入れたおにぎりを広げてみるものの食欲があまり進まず一個をやっとのことで食べた。
喉はあまり渇いたように感じなかったけれども水分を口にするといくらでも喉を通って入る。
気を抜くと五〇〇ミリリットルのペットボトル一本は一気に通ってしまいそうになる。
ここから先は今回の行程の難所となる。
五大尊岳(八二五メートル)、大森山(一〇七八メートル)と標高が高くなるため急な坂や木や岩につかまって登らなければならない個所も出てくる。
五大尊岳を上るとすぐ下り、またすぐに大森山の登りになる。
金剛多和を出て約二時間、八時二十五分ようやく五大尊岳山頂に到着した。
ここには不動明王の石仏があり、醍醐派の修験者たちが建立したものである。
一つの奥駈道をともに修行の道場とする修験道の歴史を感じる場所であった。
我々は、熊野から吉野に向かうルートであるが、当山派の修験者たちは吉野から熊野に向かうルートなので途中で当山派の修験者たちとすれ違うことを期待していたが、今回それはなかったので少し残念に思った。
この辺りを歩いているとき急に奥駈修行に参加することに心配していた家族のことを思い出し、なぜか涙が溢れてきた。
九時十八分、篠尾辻に到着しここから少し下って大森山に向かう。
十時三十三分、大森山山頂に到着した。
何人かバテ気味の人もいたが、何とか無事に全員山頂でお勤めすることができた。
ここから先は急な下りの箇所が多く、足の指が地下足袋に食い込んで足が痛み、上りの方が楽に感じるようになった。
途中の靡「水呑金剛」には、余力のある人のみ参加するようにと先達さんから言われた。
私は全ての靡を巡拝したかったので行くことにしたが、経験者の人も含め半分以上の人がその場に残っていたので道がかなり険しいことは容易に想像できた。
結局、十名で向かうことになり歩き始めたが予想通り道らしきものはなく瓦礫の斜面を歩くようなかなり歩きにくいところで、途中何度も転んだ。
昔は水場だったようだが今は水が枯れた河原のようになっており、歩くと石がぼろぼろ崩れる中を歩いて十一時四十八分やっと靡に到着した。
お勤めを済ませた後、来た道を戻って合流し玉置山に向かって出発した。
十二時三十分、玉置辻にて昼食を食べる。朝食の時と同様に食欲はほとんどなく、おにぎり一個を食べるのがやっとだった。
ここへ来るまでの道中、家族が用意してくれたカロリーメイトとソイジョイを食べながら歩いた。
腰を下ろしていざ食事というよりは、歩きながら食べる方が食べやすく感じた。
昼食の時には、最高齢の吉開さんが「もう着いたから大丈夫や」と言って皆を励ましてくれたのが、すごく力になった。
また「山ではこれが一番や」と言って見せてくれたカップラーメンが今でも強く印象に残っている。
昼食が終わって歩き始めたが、足が急に痛くなり山道がすごくきつく感じた。十三時二分、犬吠檜に到着しお勤め。
そして、十三時二十三分、ついに玉置神社に到着した。
この神社は、一般の参拝客も多く人里に入ったなという印象を持った。
この時すでに持っていた水は全て飲み干しており、すごく喉が渇いていたので、神社の水飲み場で何度も何度も柄杓に水を汲んで水を飲んだ。
その時の味は何にも勝るおいしさに感じた。
神社の駐車場で修験装束に着替え、バスに乗って本山まで帰ってきた。
智証大師の御廟に参拝し、今年の奥駈を無事終えることができた。
家に帰って、奥駈の話を家族にして五大尊岳で心配してくれたことを思い出し涙が出たことを話した。
やはり自分は、心配してくれる家族もあり本当に幸せだなと感じる反面、奥駈修行で心配をかけるのもどうかなと思い、来年はもう参加しないと言ったところ、「せっかくご縁をいただいたのだから体を鍛えてまた来年も参加しておいでよ」と言ってくれたのを聞いたとき、自分は本当に多くのものに支えられているんだなとつくづく奥駈修行を通して思った。
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