自利と利他のはざまで 東京支所 中村 博雅
四十五歳にして初参加でしたが、皆様のおかげでなんとか無事に行を終えられたことに、まずは感謝申し上げます。
五月二十六日、玉置山から持経の宿に至る約十七時間のハードな行程が、まさに修行の名にふさわしい、今回のメインイベントだったと思います。
午前一時、そぼつ雨の中、ヘッドライトだけを頼りに三十名弱の一群は黙々と歩みはじめました。ハイペースな行軍中、しばし歩を休めることができる靡での祈りは、初心者にとっては一息つけるありがたい場にも思えます。私は、「誰一人漏れることなく、全員無事に成満できますように」と祈りを捧げました。それは本心からの思いでしたが、どこか修羅場を知らぬ若者の大言にも似た稚拙な祈りだったことに、まだその時の自分は気づいていませんでした。
夜明けを迎えると視界が広がります。遠近の山々が稜線で鮮やかな緑のグラデーションを奏で、それを石楠花やツツジの可憐な桃色が彩る、そんな南奥駈ならではの自然美が目に飛び込んできました。「さすが世界遺産」と感嘆すると同時に、暗闇ゆえに意識せずに済んだ、切り立った尾根道や崖などを早足で歩いているという現在進行形の事実も否応無く知るところとなりました。
朝食を終えた頃から、私は少しずつ足裏に痛みを覚えるようになりました。そして時とともに、豆や靴擦れという名前では言い尽くせぬように思えるほど、広範囲にわたる痛みが激しくなっていったのです。原因は地下足袋のサイズでした。今回の入峯のために十五キロ減量しました。そのおかげで膝や腰の負担は激減したのですが、どうやら足のサイズも小さくなっていたらしいのです。一足進めるたびに感じる、焼けるような感覚。水ぶくれの下にある腱にも鋭い痛みが出てきたようです。「これはかなわん…ああ、火渡りってこんな痛みなのだろうか」
くだらないことを考えていたら、徐々に列から遅れはじめていました。あれほどきつかった登り道の方が、着地の勢いをコントロールできる分、楽に感じます。痛みのせいで全身を力ませながら歩まざるを得ず、スタミナの消耗も激しいように思えます。
何かあれば誰かのヘルプに回ろう、靡では全員のために祈ろう……そんな利他の綺麗事を夢見ていた自分が、皆のためにできることは今やただ一つ、「途中で落伍して足を引っ張らない」という自利の行いだけになってしまったのです。
周囲を明るくさせるどころか、どんどん無口になっていきます。少々列を乱しても、自分のペースを守ることしかできません。一方、寺の先輩方は私の後ろをガードするかのように固め、何かあるたびに気遣って声をかけてくれます。そんな自利と利他のコントラストは、己の業深さを浮かび上がらせるようでもありました。
夕方。持経の宿まであと二時間というところで、顔色の悪さを心配する声が出るほど、体のキツさが頂点に達してしまいました。
絶対リタイアしたくない。でも、足はいつまで持つのだろう……さまざまな思いが錯綜する中、たどり着いたある靡。尾根沿いに一列に立つしかないようなその場所で、私は初めて本気で祈ったような気がします。
それは、薄っぺらい利他ではなく、心底からの自利の祈りでした。「私を助けてください。私を最後まで行かせてください!!」
幼子が泣きながら父に訴えかけるように、山の神に必死にすがりつこうとする自分がいました。
それから十分ほど歩いた時だったでしょうか。他愛ない話をしながら歩いていると、急に全身のこわばりがスッと消え、気づけば、気持ちの強さと歩みの勢いを取り戻している自分がいたのです。祈りとそのことに因果関係はあったのか……今も自分の中で整理がつけられずにいます。
翌二十七日。持経の宿で迎えた朝は、簡易ケアをした足がなんとか動くことに深い安堵を覚えました。この日は約十時間の行程。前日に比べると天国のように思えます。
ようやくたどり着いた最終目的地・前鬼の宿では、さまざまな方と雑談しました。そして、いつものペースなら、はるかに先着できたであろう宗門の先輩方が、愚痴ひとつ言わず、笑顔で先頭やしんがりを務めてくれていたことに気づきました。ひとつ間違えば大事故となる険しい山中で、体力の有無さえわからぬ初心者に目を配らせつつ大峯を歩くことがどれほど大変か、想像するにあまりあります。
また、この日は山伏修行が人生の一部となっている大先輩に天然の枝で杖を作ってもらう機会を得ました。そして、宿においても気遣ってくれる寺の先輩方の優しさ……そんな人様の利他の心に感激しつつ、自らの器を大きくしなければと強く思いながら床に着いたことを覚えています。
最終日。三井寺に無事帰着し、全行程を終えた一時間後、私は京都の雑踏を歩いていました。たまたま、道を塞ぐように歩く少し柄の悪い人と遭遇したのですが、ぶつかりそうになった時、肚の底がしっかり座ったような、何も恐れない不思議な気持ちに包まれている自分に気がつきました。もちろん、限界まで追い詰められた山中と、安全であたたかな街とのギャップが引き起こした錯覚です。しかし、自分を追い込むことで得られる果実の一端を垣間見たような気がしました。
その直後、今度は白杖を持った老人を補助する若者の姿が目に飛び込んできました。尊いと思うと同時に、不動滝の前でどなたかが言っていた「密教も優しさは大事」という言葉が、サポートしていただいた方々の姿とともにフラッシュバックしました。そうだ、私一人ではここまで帰ってくることさえできなかったのです。
自利と利他、おそらくどちらも大切なことなのでしょう。
そのことを教えてくれる立体曼荼羅を、山と街で私は見せていただいたのかもしれない、そんな風に思えてきた私は、心の中でそっと手を合わさずにいられませんでした。
奥駈を通じて 滋賀支所 長澤 清導
私は、卒業論文として「神仏再習合の軌跡と展望」を書きました。その際、聖護院門跡寺院・宮城泰年門主に廃仏毀釈や神仏信仰についてお話を伺いました。特に「修験道は、もともと神仏習合をしている世界です。森林文化と神の世界は、切っても切り離せない関係です。」とインタビューの冒頭で述べられたことが印象深いです。
そして、今回「玉置〜前鬼」の修行にあたり門主のお言葉を念頭に置き奥駈を敢行致しました。自身初めての奥駈でしたので、特に鎖場では何度も滑り落ちそうになりました。自然・行者道の厳しさを知り、大地に足が付くありがたさを覚えました。また、行仙宿では山彦グループさんによる心温まるお接待を受け、先人達が築き上げた行者道を歩き「修行している」のではなく「修行をさせていただいている」という思いになりました。
今回の奥駈を通じて、明治の廃仏毀釈以降、薄れつつある一五〇〇年続く日本人の信仰の根幹とも言える「神仏習合」を身を以って修行させていただいたということは、私にとって得難い経験となりました。
最後に、今回の奥駈に満足することなく「万里一條鉄」の思いで苦しく辛くとも途中で脱することなく、次回の奥駈に臨む覚悟です。
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