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板澤幸雄

天台ということについて

ことしは、中国天台宗の高祖である天台智者大師智の一四〇〇年御遠忌ならびに、わが国修験道の祖役の行者の一三〇〇年御遠忌にあたり、宗門あげて一層敬仰の念を深くするものである。
わが宗は、「天台寺門宗」として、巻頭に《天台》という二文字をその宗名に頂いていることは、いまさら申しあげるまでもないことであるが、歴史的経緯にしても、その二文字の意義はことさらに大きいものであると観なければならない。
『天台宗史』・『天台宗教義』などを繙くと、天台宗の生成過程や、教義の詳論に触れることはできるが、《天台》という二文字についての学修は、未だしの感を常に抱いている。
かかる意からそれは微濛であるが、少しく記してみたい。

『伝教大師研究』(「伝教大師研究」編集会編輯・昭和四十八年六月刊)の宮川尚志博士の「天台大師以前の天台山」の論考に、(天台の語は「上、台宿に應ず」る故というがはっきりしない。)とあるが、これについて同書の註をみると、唐・徐霊符・天台山記(古逸叢書)に「按眞誥云。天台山高一萬八千磁丈。周廻八百里。山有八重。四面如。當斗牛之分。以其上應台宿。光輔紫宸。故名天(以下略)」となっている。

仏教学の泰斗であり、文化勲章をうけられた宇井伯寿博士監修になる『コンサイス仏教辞典』によると、天台とは、

(1)天台宗の略
(2)天台の智者大師をいう

と、天台という語について解説をしている。したがって、単に「天台」というときには、天台宗のことをさしており、あるいは天台智者大師をさしているものであることを了知しておくべきである。天台宗の要義を述べた典籍に『西谷名目(ニシダミョウモク)』というのがある。これは具には『天台円宗四教五時西谷名目』と称するものである。

この『西谷名目』には、天台宗学の綱要たるべき四教・五時・三身・四土等をあげ八宗の教義を概説したもので叡山東塔西谷の学匠の手になったものとされている。編輯の年時は不詳である。この『西谷名目』について註釈等は非常に多く、渋谷亮泰編『昭和現在・天台書籍綜合目録』を被見してみると六〇有余冊にもおよぶようである。そのなかから手元にある『頭書訂正・西谷名目』(四冊、前掲の綜合目録によると観應校、明治十九年刊とある)によると、

天台者、具ニハ天台山ト云 智者大師所棲之處也

と記されている。さらに、もう一書、町元呑空編輯になる『増冠傍解・西谷名目』(明治二十二年刊)によれば、

天台ト者、人處家之三義有リ、謂ク人ニ従ヘバ則是、天台大師、
處ニ従ヘバ則是、天台山、家ニ従へバ則是、天台宗也

とある。この註釈書にいう、天台を解する場合に、三つの語義があるという。それは人と処と家とである。いうなれば、人に即していえば則ちこれ天台大師である。処に即していえば則ちこれ天台山である。家に即していえば則ちこれ天台宗である。ということである。この「人・処・家」の三義は、天台を解説する場合の用語として用いられ、西谷名目ばかりでなく『四教義集註』などの諸本に用いられている。

上述の「天台」という語義と同時に理解しておかなければならないことに、天台の「天」ということである。天台の天ということともう一つは、天台の「台」とは何か、ということの理解である。先ず「天」ということであるが、それには中国における宇宙の考え方におよばなければならない。宇宙に相当する中国の言葉に「天」あるいは「天地」がある。

中国古代においては、天は固形的なドーム状のものとして、矩形のかたちとされる大地を覆うものであるとのイメージされていた。それによって天と地に区切られ、閉じられた空間が、古代中国人の宇宙感であった。宇宙という語も実は中国語であり、中国の戦国分野説《史記》天官書、《著書》天文誌による註一円の外から順に、二十八宿、漢代の十三地域・十二次、戦国時代の十二国時代(B・C四〇三〜二二一)に尸佼という人が、〈上下四方を宇といい、往古来今(過去・現在・未来)を宙という〉と称し、以来これが「宇宙」の古典的定義となったという。

中国においては、天は上帝もしくは宇宙の主宰者を意味すると共に、神が住む場所をも意味した。天とは、●と同義であって、人体の頂にあたる脳天の意味であり、転じて頭上の天空・天神などともいう。赤松法宣師講述の『四教儀集註講述』によれば、「天者●ナリ、此字訓ト元説文十一十右丁ニアリ、●ハ人ノ頂キノコト人ノ五体ニ取テハ頂ハ最モ上ニアル天モ其如ク万物ノ上ニアル天者●ナリト釈シタモノナリ」とある。

天の観念が提唱されて一般化したのは、中国周代になってからとみられ、上記の如く上帝その他の神霊の在所であるということから神聖視されて、その結果、敬天思想が生まれたものと解されている。また、『天台集解新鈔』上本、舜続院真迢誌(万台三〈一六六〇〉年刊)には、

天者●也等楞嚴釋要六云ウ俗ノ中二天ヲ釋シテ云ク天ト者●也上ニ在テハ高●也又天ト者也坦然トシテ高遠也(以下略)

とある。

次に、「台」ということであるが、「台」ということの意を解するに、一つにはそれは星の名であるということである。上掲の『増冠傍解・西谷名目』に「天台山ト者此山頂二華頂佛壟唐渓ノ三嶺有リ而シテ天之霊精六淳曲生の三台星ニ應ズ」とあり、その文中の「三台星に應ず」とあるは星の名であって、それは、紫微といわれる星を守る三つの星のことをいい、上台星・中台星・下台星とがあり、これを三台星と称するという。天台山には、華頂・佛壟・唐渓の三嶺があり、これに三台星が応ずるという。故に天台山というとある。

また同書に、天台山というのに二儀ありという。一つに応当の義あり、二つには応似の義ありとする。一の応当の義(まさにあてはまる)とは、弘決(荊渓湛然の著、天台の摩訶止観の註、止観輔行傳弘沢四十巻の略)一にあるという。荊渓湛然七一一〜七八二は、中国唐代の天台学僧で、天台大師智を祖とする中国天台の第六祖とされ、中興と称せられる。荊渓尊者・妙楽大師といわれ、天台大師の著述の多くを註釈した。

その弘決一に、其地分野天の三台に応ずとあり、つづいて分野とは、天象分配下地處々を主(つかさど)る故に分野という、とある。

ここにいう分野とは、分野説ともいわれるもので、中国全土を天の十二次、あるいは二十八宿に配当し、配当された星の位置によって、それぞれの国の吉凶を占おうとする古代占星術の基礎理論であって、十二次は天を西から東へ十二等分したもの、二十八宿は天のおもな星を目標にして、西から東へ分割(これは不等分)したものをいうが、古代の歴史書である『国語』(二十一巻。周の左丘明の撰。左氏伝を内伝というのに対し外伝ともいう)に、周の武王が殷を伐ったとき、歳星(木星)が鶉火(南)に位置したことから、鶉火を周の分野としたともある。また、『春秋左氏伝』にも歳星の位置によって吉凶を占った例が見える。

天や天空を崇拝の対象とする民族は少なくないが、そのような信仰形式をもっとも古くから発達させたのは内陸アジアの遊牧民族であったが、中国では天を至上神、自然、理法、さらには宇宙などを意味する。天空を神格化し、それを崇拝するのは内陸の遊牧民と共通した信仰形態である。中国における天の信仰ないし思想も同根をみるべきであろう。

天台三大部の一つである『法華文句』の四に
天は天然自然に勝るなり。楽勝身勝の故に天勝を為す。衆事悉く餘趣に勝る。常に光を以て自ら照す故に名けて天と為す、

とある。


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