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星宮智光

仏道としての現代の課題


仏道としての現代の課題

今日の日本仏教の基本的な性格は多く江戸時代の幕府の宗教政策によってつくられたと言ってよい。

幕府は武家政権でありながら、平和的な文教政策にとくに力をいれた。そのため、社会生活の実践道徳では儒教の忠孝、礼儀、智信等の教えを大いに取り入れ、あたかも儒教を国教のごとく尊重し教育の原理として普及につとめた。一方、宗教の面では寺請制度を実施して仏教寺院にキリスト教禁制のための宗門改めや戸籍の移動等の監視の仕事をあたえた。寺請制度によって、士農工商いずれの者もどこかの寺院の壇徒にならなければならなかった。江戸時代の寺院は、幕府の支配体制の末端として働いて、主にこの点で壇徒と接触していた。したがって、寺院には壇徒福祉を考慮する発想も実施もきわめて貧弱であった。たまには、副業として寺子屋を経営する場合もあったが、その教育内容は読み、書き、そろばんで、教材はみな儒教の文章であった。儒教は世間中心主義で家族愛の道徳であるから、仏教の出世間主義、脱家族的慈悲の教えとは対立するものであるが、そのようなことは意にも介さず、寺子屋の教育は儒教と仏教とを折衷させた通俗的處世教育であった。

しかし、寺請制度の実施のなかで人びとはみなどこかの寺院に属することになり、戸籍に名前を記録されることになった。そして、戦国時代までならば、死亡した場合ほとんどの民衆は仏事もなくただ捨てられるように埋められていたのであるが、寺請制度によって死亡したものはみな僧侶によって引導供養を受けてねんごろに埋葬されるようになった。これは江戸時代の人々にとってはこれまでにない大光明であり大きな喜びであったにちがいない。こうして、江戸時代以来、仏教によって葬式を行なうことが僧侶や寺院のかけがえのない壇徒民衆との唯一の福祉的接触となった。今日に至るまでの葬式仏教の隆盛はこうして発生し助長されてきたのである。

江戸時代、明治時代を通して幕府政府の宗教政策の本音は、寺院を「生かさず殺さず」の枠組みのなかにとじこめることであった。社会的福祉活動や教育活動も体制内においてのみ許されるのであって、社会革命にまで及ぶごときものは厳しく弾圧された。また、僧侶や寺院の側も体制に保護されたままそこに安住し、社会革命など想像だに及ばなかった。そして、このような日本仏教界の旧態は今日そのまま存続していることは改めて指摘するまでもない。

江戸時代の寺院諸法度には「僧侶は勤行と学道に励め」と書いてある。仏僧は朝夕の勤行儀式や葬儀に精を出し、余暇には経律論の三蔵を精読するように厳しく規定されている。そのせいか、江戸時代には仏教学の研究は精細を極め山ほどの論流が書かれた。まさに江戸時代仏教は、葬儀仏教であり、学道仏教であった。しかし、幕藩体制内に保護されて、社会と民衆の実生活から隔離された僧侶たちの仏教研究は重箱の隅をつついたような精細な研究ながらも、ついに独創的な成果をつくることはできなかった。新しい思想的発展もなかった。ましてや、封建体制の中で苦悩する民衆の心の糧となるような教えを生みだすことはできなかった。

そして、明治以後今日に至るまでも、仏教の学問的研究の量は江戸時代に増さるものであるが、外国人学者からいわせると、創造性も新鮮さもなく、ましてや傾聴に価する新しい思想の開発も発想も皆無であると評される。今日の日本仏教学界も江戸時代の遊戯的学道仏教の枠を越えられないでいる証拠である。

二十一世紀はどんな時代であろうか。二十世紀の宿題をみてみると、有限なるエネルギーの問題。自然環境の宇宙的規模の破壊はどうして止めることができるか。爆発的な人口の増加。民族紛争。諸宗教の対立。それに医学技術の進歩による臓器移植、生殖医学。宿題は山積みしている。

こうした現代の諸問題に仏教はどのように対応するか、苦悩は尽きない。しかし、この諸問題と真向から取り組む、その苦悩の深みにおいて仏道を行ずることが肝要である。そこに、ようやく江戸仏教の旧態を克服した、真に現代に答えることのできる仏教が生みだされるのであろう。

 

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